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2007年11月27日

繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか

2007年11月21日(水)
繁多川見聞録partⅤ 第3週は、戦争時の避難先、避難ルートの聞き取りになりました。

前回までの報告はコチラ
1週目 戦争時の生活を探る  地域まーい(地域散策、壕内など)
2週目 戦争時の生活を探る 聞き取り(地域住民から当時の生活、家族構成など)

聞き取りを進めるにつれ、戦争当時の様子が浮かび上がってきます。
・若い男子は、ほとんど軍隊に出て、家にはいなかったこと
・空襲のすさまじさ
・壕の中に、避難して最後は南部へほとんどの人が避難したこと
・軍隊と民衆の関係

こうして周りに住んでいた繁多川の情報を、聞き取りで埋めていくことによって
戦争体験による事実が、少しずつ客観的に見えてきます。

沖縄戦とはなんだったのか。
戦後60年を過ぎても、沖縄の人達自身、
その真実を未だつかみきれていないのだと
熱心に聞く、受講者を見て思うのでした。

繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか

繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか

聞き取りから誰がどこに住んでいて、どうなったのか。繁多川という地域を深く掘り下げていきます。
繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか

繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか

繁多川見聞録partⅤ 戦争時どうやって生活し避難たのか
次回は聞き取りです。避難経路と、避難場所での生活について。



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Posted by 1万人井戸端会議 at 17:38│Comments(2)公民館講座
この記事へのコメント
第二回だけ参加させてもらいました。
あとあと思うのは、
繁多川地域以外の沖縄の各地で
このような取り組みが行われているわけではないんだろうなぁということです。
限定した地域に集中して、地域の方の協力によって
聞き手がいるという状況は大切だと思います。
神戸に戻って図書館で調べると、
「沖縄の島守」はたくさんの図書館で所蔵していることがわかったので
さっそく取り寄せました。

秋田に住む祖母から、
沖縄の戦争の話を聞いたことが
唯一私の中の沖縄の戦争です。
沖縄と秋田、そんなに遠く離れていても
80歳を越した今も沖縄の戦争のこと友人のことが忘れられない祖母のような人が
きっと日本中にいるのだと思わずにはいられません。
講座の報告、続きも楽しみにしてます。
Posted by ミチヒラカオル at 2007年11月27日 23:39
 参加をしていただきありがとうございました。
 地域とのかかわりを大切にしてきた私達ですが、それにも増して、自治会の皆様や、地域の皆様が、非常に協力的なことに頭が下がります。
 繁多川=那覇の端(方言でハンタ)のイメージがありますが、自治会長曰く、川(カー
・水が豊富)が多く繁昌した地域であると、解釈していると前向きな発言に拍手でした。
 ちなみに豆腐でも有名なところですが、12月は、とーふの月にしたいと、自治会事務所前で、ゆし豆腐をつくり振るまうそうです。公民館の聞き取り講座から、壕のガイド養成や、沖縄在来種の大豆を栽培しての昔味の豆腐を作ろうの「あたいぐゎープロジェクト」等多方面に発展し、またまた、自治会で、それこそ豆腐をつくるまでにコミュニティーが活性化してきたことに胸が熱くなtります。
 地域の皆さんが、真剣に関わってくださることに感謝しています。
Posted by 公民館 at 2007年11月28日 10:25
 
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